同情と共感

Asuka (彩須花)

2013年03月19日 00:27


 


【同情と共感】


  共感(empathy)と混同されがちなものに、同情(sympathy)がありますが、この2つは同じではありません。
共感とは、自分の感情は持ち込まず、相手の身になって考え、相手の気持ちで感じることです。

同情とは、相手の立場で物事を考えるのではなく、自分の立場から考えることをいいます。
そこには、自分の経験や価値観といった枠組みから判断している部分が含まれ、相手を哀れんだり、かわいそうに思ったりという感情が付随します。
さらに、同情はどこか自分が相手に対して優位になっているという雰囲気が漂っています。
それはある種の自己満足です。自分は相手を理解してあげているという、勘違いともいえます。
結局、同情とは「私はこう思う」というように、主体が聴き手になってしまいます。

主体が聴き手になるということは、聴き手が話し手になってしまうという、役割の逆転が起こってしまいます。
そうなってしまうと、相手は話す気が失せてしまいます。

また、同情して自分の気持ちで話を聴いてしまうと、どこかで話し手の気持ちとズレが生じるものです。

それに対し、共感は自分の感情を混ぜずに相手の感情の動きに寄り添っていきますので、「あなたはこう感じている」と主体は話し手になります。
そして、共感は相手と共に感じると言うことなので、相手と対等で同じ目線で物事を見ることになります。 
先ほど同情はある種の自己満足であると書きましたが、この自己満足的な聞き方というのは、話し手の気持ちに水を差す結果となってしまいます。

聞き手が主体となるのではなく、話し手が主体となるように聞けるといいですね。

例えば、辛いことを相談されて「分かる」「かわいそうに」と言ってしまいがちですが、似たような経験をしていたとしても、その人の辛いと思う気持ちは分からないのです。これは同情。
「お辛い思いをされたんですね。」「お辛かったでしょうね」これは、共感です。

「かわいそう」という言葉は 相手を憐れみる、見下す事ととらえられかねません。


人間の尊厳、どんな状況下にあろうとも、無価値になることはないし、誰かが、誰かより優れていることはないのです。

同情をするより、共感、そして、励まし、話し手が自分自身に価値を思えるように声をかけられるといいですね。

子育てもそうです。

励まして、誉めて育てた子は自分自身に自信を持ち、ヤル気、勇気を持った子に育ちます。


私自身にも大きな学びとなる、メッセージでした。



人間の尊厳、尊重すべきですね。




あなたに愛と光が届きますように☆



感謝


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